tomsuma

富山県在中、北海道出身のアーティスト。いつもラブ&ラフのある世界を目指し、アート健康器具をはじめ、デザイン、企画、コピーライティングなど、アート全般において活躍。

極限の下のユーモア

Ah〜、酔っ払っちゃったと、浮かれ騒いで梯子酒した男が家路の曲がり角の電柱を見失い、ぐるぐる回って、やっぱり地球は回ってる、回ってこないのは金だけだ と、切なくつぶやく歌。結局この歌は、おしっこしたくなっちゃった と言って終わる。

 喜劇人だった私の大叔父は太平洋戦争前、兄弟を含む4人組でヴォードヴィル・バンドをやっていた。父親から、お前の祖父さんの兄弟だと渡されたCDに「あきれたぼういず」とお気楽なグループ名が書かれており、冒頭には『四人の突撃兵』という曲が入っていた。

復刻版らしい音質で、クラシックやら浪曲やらジャズやら声帯模写やらと目まぐるしく転調し、終わりには「津軽よされ節」をオン・ビートでラップする、そんな曲だった。あまりのスピードと駆け抜け感に全くついていけず、昔の人ってこんなテンポなの……と衝撃を受けたのを憶えている。

「進めよ我らの突撃、東洋平和の銃を取れ、皇軍大捷、万々歳」と妙に明るく歌って終わるのだが、じつはこの曲は急遽書き換えられたもので、検閲により当初のものは発売禁止となったそうだ。軍国主義台頭の時期である。とは言え明らかに茶化した詩。浅草花月では検閲の目を盗んでは時世の風刺を歌い観客を楽しませていたと聞いた。クレーム回避と表現自由を制約されつつある今日よりも、この頃の人たちは遥かに暴走していたのかもしれない。なんてことを思った。

弟の方はこの後、出征し帰らぬ人となる。父は彼を心から慕っていたようで、我が子のようにかわいがってくれたんだと話しながら涙を流した事があった。父の涙を見たのは母の葬儀とこの時だけで、よほどの想いがあると分かった。

 ある日、叔父の戦死した場所を見つけ出すため中国の奥地へ向かった父から丁寧なレポートが届いた。恐らくこの辺だろうと撮った草原一帯には金銀花が咲き乱れていた。それ以来父は、スイカズラとも呼ばれるこの花を育てている。

同じ頃、大戦下のポーランドではナチスによるホロコーストが行われていた。精神科医のビクトール・フランクルが収容所経験から書いた『夜と霧』は強烈だ。終始衝撃的な内容だが最も意外で印象に残ったのが、繊細な感情性質の人間が、頑丈な身体の人々よりも収容所の極限生活を耐え生き残ったという話。そのパラドックスについてフランクルはこう解説している。

ー彼らにとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからであるー

一方、平和に恵まれた今に生きる自分は「思考の自由」を作り出せてるだろうか?

あぁ、、、おしっこしたくなっちゃった。


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戦前の川田義雄,坊屋三郎,益田喜頓,芝利英による風刺的ギャグ・バンド。芝さんは出征。初めて坊屋さんにお会いしたのは祖父の葬儀で、二度目は棺桶、所謂ご本人の葬儀でだった。

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フランクルの「夜と霧」. 八章『絶望との闘い』ーすなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのでは
なくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのであるー

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金銀花とも忍冬とも呼ばれるスイカズラ . 父にとって特別な植物となった。芝さんはどんな人だったのだろう。

 


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