タナベマサキ

富山県砺波市出身のラジオパーソナリティ、役者。劇団 CASTINGBOARD 創立者。FMとやま「RADIO JAM」(毎週月〜木曜16:00-19:00)をはじめ、FM福井、FMとなみ、となみ衛星通信テレビ、ケーブルテレビ富山などでDJとして活躍中。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Cosmos/8960/

カエルの歌ガァ?

「こ、怖い……」
ボクが住んでるところは田園風景が広がるドのつく田舎です。春になればまさに「四面蛙歌」。カエルが鳴くのなんかは当たり前なのだが、北海道に住む伯父さんにとってはその鳴き声が恐ろしかったようだ(ちなみに伯父さんの住んでるところ は目の前に海が広がり、田んぼは一反もないようなところです)。
それに対しての周りのリアクションは……「そう言えば鳴いてるねぇ……」。

 長年同じ土地に住み続けるというのもこれも恐ろしいもので、僕らの場合カエルの鳴き声は自動的にキャンセリングされてるようなのだ。耳をすませば、いや耳をすまさなくても意識して聞けばカエルの大合唱が聞こえるのだ。冷静になれば確かにあの大音量の分だけカエルの数がいる(「あの大音量」がピンとこない方は夜の砺波にいらしてください)と考えれば、アルフレッ ド・ヒッチコックの「鳥」並みの恐ろしさを覚えるかもしれない。それだけの数のカエルが求愛して、その個体数以上のタマゴを産んで、多少間引きしたとしても、大量のオタマジャクシが産まれ、そしてカエルに成長する……。そしてまた大音量で鳴き始める……。そりゃ北海道の伯父さんじゃなくたって恐怖でしょう。

 話はちょっと変わって。そういえば外国では虫の音や紅葉は好まれないという話を聞いた事がある。虫の声は雑音で、紅葉はただの枯れ、でありむしろ忌み嫌われるものらしい。しかし、日本人の感性が素晴らしいと思うのは、それを「風流」などと捉えることなのだ。日本には季節が二十四もあって、更に五百の雨が降り、千の風が吹くという。その細やかな感性は先人の豊かな心の中に宿っているもの何じゃないかと思う。
「神様は小さきところに宿る」
僕はこの言葉が大好きだ。ひとつの風、ひとつぶの雨、一本の草や木にも、そして一匹のカエルにも神様が宿ってるという感性。さらに、そしてひとつひとつの事象に対して「季語」を設けて俳句と言う芸術作品にしたり……。「八百万(やおよろず)の神」という考えもこういうとろに由来するのかもしれない。
 人間はしょせんは自然に抗うことは不可能なのだ。ならばそれを受け入れてしまおうという考え方。日本人は弱さを認識出来る強さをもってるんじゃないかしら。そして「自分達は弱い」と認める事で神様に守ってもらえるという考え方が生まれてくる。だからこそ、僕ら日本人は自然と共に生きることが自然に出来るはずだし、そうしなければしょうがないのだ。僕らはカエルの声だって「共存」してるという無意識の認識の中に寛容しているのかもしれない。

 それにしても……。カエルにしても、鳥にしても、芽吹く草木も、新しい季節を感じそれぞれの主張をする。現代を生きる僕たちは果たして季節に合わせて何らかのアクションを起こしているだろうか? せっかくの豊かな自然の中と豊かな国の中にいるのに、摂氏25度の中で閉じこもっているなんてもったいない! 冬眠を経て、春が来た事を感じ、ちゃんと大きな声で鳴く。カエルのその単純な生命力。素晴らしいじゃないですか!
僕らも新しい季節を肌で感じ、そして叫ぼう!
イエーーーイ!!

(……ちなみにタナベは蛙が大の苦手です)

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大河ではありません。田んぼです。この中に大量のカエルが……

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時代に取り残された田園風景。メッチャよくないですか???

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実はボク、用水マニアなんです。なんか萌えませんか??

 

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